高校時代は今と同じ。不機嫌そうな顔してましたよ(笑)
今やWeb業界のセミナーでひっぱりだこの長谷川さん。お仕事の話もたくさん伺いたいのですが、せっかくの機会なので10代の頃のお話なども聞いてみたいと思っています。
いきなりですがヤスヒサさん、今のお仕事を目指されたのはいつ頃なんですか?
僕が学生のころは「ホームページを作る」といった仕事がまだ確立されていなかったんですよ。大学では当初、国際関連学を学んでいました。子供の頃から趣味で絵を描いていたのですが、趣味は趣味として(仕事とは)別なものと考えていました。
在学中にWWW(World Wide Web)の存在を知って、そのときに「自分の作品をWWWで公開してみたいな」と思いはじめたんですよね。ホームページの作り方を独学で学ぶうちに、自然とWebへの興味が強くなっていきました。専攻を変えようにもWebに特化した学部は当時なかったので、「ビジュアルコミュニケーションデザイン」へ転向。そこではWebデザインの話はほとんどなく、紙デザインが中心でした。学部を途中で変更したことで、卒業まで5年かかってしまいましたが、変えてよかったと思っています。
そこから現在までは、自然にそうなってしまった、という感じです。
ここで言う「大学」は、アメリカの大学なんですよね?
そうですね。日本の大学に進むのがイヤだったので(笑)
大学受験のために猛勉強というのが自分には無理だなと思ったのと、将来社会の役に立ちたいという漠然とした想いがありました。そのために「英語くらい覚えておきたい」と思って留学を決意しました。自分の知り合いの先輩が留学していたことにも、大きな影響を受けましたね。
でもアメリカの大学に進むなんて、簡単にできることじゃないですよね。
うん、ただ僕は日本の高校から転校して、最終的にはアメリカの高校を卒業してるんです。だからそんなに抵抗なかった。
ヤスヒサさんの高校時代ってどんな感じだったんですか?
今と同じ。不機嫌そうな顔してましたよ。日本では私立の男子校に通ってたけど、なんとなくクラスで浮いてたのは日本でもアメリカでも同じだったなあ(笑)
2年生のときに休校して交換留学生としてアメリカに行って、その後正式に日本の高校を退学しました。元々その(日本の)高校を受験しようと思ったのも、交換留学生の制度があると聞いてたからなんです。だからある意味、予定どおりでした。
でもアメリカに渡って半年くらいは寂しかった。言葉が通じないし。周りが話しかけてくれても、早くてワケわかんない。宿題すらできないのが辛かったですね。
高校卒業後、そのまま大学を受験したんですか?
いや、いったん日本に帰って1年バイトしたりしてからあらためてアメリカへ渡りました。
僕はアメリカの高校を出てしまったので、SATとTOEFLという両方の資格が必要だったんですね。だから、大学に入るのは少し大変でした。
語学力は、その時点ではさすがに日常会話レベルは大丈夫でしたよ。でも大学生になると、読まなきゃいけない文献の難易度も上がるんだよね。だから、ついていくのは簡単ではなかったです。大学時代は相当勉強しました。
今にして思うと、あの頃はあとさき何も考えずに進路を決めてましたね。
専攻を変えた後も、グラフィックデザインに関する授業の方が多かったんですよね?
Webの知識はどうやって学んだんですか?
まずは独学でHTMLを勉強しました。初めて買ったWindows95のパソコンにバンドルされていたメモ帳ソフトで。
大学構内や寮には高速回線が敷かれていたので、今から思えばかなり有利な状況ではありました。「自分の作品をWebサイトで公開する」という当初の目的もちゃんと果たしました。
でもそのころは、まだインターネット利用者がそんなに多くない時期ですよね。
一番最初につくったホームページは英語だったし、見た人はほとんどいないでしょうね。
当時はYahoo!をはじめとしたディレクトリサービスに登録することが全てで、SEOどころではなかった。プロモーションするのは難しかったです。
で、卒業後はその知識を活かしてデジタルプロダクションに就職されたんですよね。
うん、自宅からクルマで40分くらいのところにある、CD-ROMをはじめとしたマルチメディアの制作に携わる会社に勤めていました。そこでの仕事は主にWebサイト制作。
入社してからはPHPを勉強しましたね。その会社では、基本的にすべての工程をひとりかふたりで行っていたので、ビジュアルデザインだけじゃなくプログラミング言語もできて当然だったんです。
だから日本に帰ってきて、制作会社の多くがきっちり分業して仕事してると知って驚きました。
ヤスヒサさんが日本に帰ろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
日本から比較的大きめの仕事のオファーが来たのと、911のあとアメリカの雰囲気が大きく変わったのが理由ですね。
そのオファーの必須条件のひとつが「プログラミングができること」でしたが、ハッタリでなんとかなりました(笑)
「日本からのオファー」! インターナショナルでカッコいい(笑)
オファーのきっかけは、自分のサイトでした。今も運営を続けている「could」を立ち上げたのは98年だったんですが、それを見た人が連絡をくれたんですね。当時から自分のサイトは仕事の窓口になってましたよ。このサイトがきっかけで書籍も出させていただきました。
ブログは、僕にとっては大切な営業ツールですね。常に書いてないと、というプレッシャーもあります。少し書かないでいると、あっという間に忘れ去られますからね。
インタビュー/編集 千貫りこ
Photography by Yoko Daikyu